【読書感想】人工知能はなぜ椅子に座れないのか【心ってなんだろう】
AIはぼくの仕事を奪ったり、ターミネイトしにきたりするか?
ロボットが心を持ったりするのだろうかとかのちょっとSF的な興味もあるし、一方で「ぼくの仕事って大丈夫かな」というめちゃ実利的な心配もあって読み始めました。
というのも、ぼくの仕事はグラフィックデザイナーで、非常に「合理的、数学的、論理的」な面と「あいまいで個人的で詩的」な面の両方があって、前者部分に関してはAIが得意そう、後者部分に関してはAIが不得意そう、となんとなく思っていたから。
AIについて知る、考えることを通して人間の心とか価値観というあいまいなものについても再度考えてみたくて、タイトルでピンときたので読みました。
人間にとって当たり前のあいまいさがAIに理解されない理由
例えば「椅子に座れ」という指示をロボットに与えるには
- 椅子とは何か
- いつ/どういう条件で座るのか
あたりを決めてあげないといけません。
座る動作や「座っている時の姿勢の定義」もしてあげないといけないかもしれませんが、とにかく人間だったら屁理屈だなぁと思うくらいきっちり定義してあげないと、AIは座るという行為を実行できない。
さらに、「椅子とは何か」で世界中にある椅子の形をすべて覚えさせることができたとしても、新しい形の椅子ができたら?とか、既存の別の定義のものを椅子として使用しているお店があったら?とかの問題が出てきます。
例えば海賊船みたいなデザインテーマの居酒屋で、椅子が酒樽でできていたら。人間だったらカウンターの前にならぶ酒樽の位置や「居酒屋」という場所の意味などから、酒樽を椅子として定義できますが、AIにはそれができないみたいです。
たしかに、よく考えてみたら「なぜ酒樽が椅子なんだ!樽じゃないか!」と言おうと思えば言えますが、そんなこと言ったら「うるさいなぁ細かいやつだなぁ。屁理屈こきだなぁ」と思われるだけですよね。
「空気を読む」みたいな言葉もありますが、人間は自分の置かれた状況や場所、自分の欲求などから「その場の意味合い」をなんとなく定義づけて、独自に行動に移すことができます。
この「環境や要求を結びつけて意味を見出す」ということがAIには(少なくとも今のところは)できないわけです。
AIには「疲れた」も「お腹すいた」もないので欲求が生まれない。だから「座りたい」も「食べたい」もない。食べる時も温度や気持ち悪さを感じないし不衛生かどうかも気にしないので、食器を手に持つ必要性がない。
欲求というものがないから、目の前の酒樽に座る必要性がない→椅子として使っちゃえ!というふうにならない。
人間はもっと「あいまいさ」を追求した方が良いかもしれない
ここまでつらつら書いてきて、様々な「クリエイティビティを身につける」系の本でよく語られている「まず仮説を立てること」という話と似ているなぁと感じました。
「座りたい」→「目の前の、ちょうど良い酒樽に座れたらな」→「ここは居酒屋。酒樽の前にちょうどテーブル。もしかして、これは椅子として使われている?」みたいな。
仮説を立てるのも、前提に非常に個人的であいまいな欲求や感覚値がなければならないのであれば、AIがクリエイティブであることは、当分の間はないのではないか。
一方で、人間がAIや合理的、論理的な「明確であること」に頼り切って、あいまいさや不透明さにめっぽう弱くなってしまったら、AIに勝てるものが一つもなくなってしまう。
ぼくも「答えや結果がはっきりしていること」に慣れすぎて、ついつい機械的になってしまうので、もっと「あいまいであること」を愛して追及していった方が良いのかな、と思いました。