【読書感想】「クリエイティブ」の処方箋【結局努力だよ】
「クリエイティブ」ってみんなあるけど、みんなわからない
センスとか創造性とかに関しては言語化しにくいし可視化しにくいし定義しにくいので、定期的にこういう本を読んで自分を振り返ったりします。
さらに今年は「自分の創造性を解放しよう」的なワークショップ運営にも参加し出したので、創造性について自分が肌感で持っているだけでなく、人に伝えるために言語化しなくてはならず一層読むようになってます。
「処方箋」とタイトルに入れてしまうくらいだから、すごく具体的で有効な内容なのだろうなーくらいの気持ちで読み始めました。
誰もが持っている創造性。でも、自分の創造性に気づけなくなっている人は多いように思います。この処方箋は効くかしら。。。
「クリエイティブ」であるために必要な3つのこと
めちゃくちゃたくさんあって、そのひとつ一つは各人が読んでいくしかないのですが、ぼくなりに整理すると大きく以下のことにまとまります。
- 正解は無い。創るものである。
- 環境は大事。
- 結局は努力。
1 正解は無い。創るものである。
1がたぶん、一番丁寧かつ徹底的に書かれていたこと。
例えば『専門家になってしまわないということ。〜せっかくの知識を、儀式に変えてしまう』『別の誰かになろうとしない』『実用性を考え始めると、心が論理的思考に縛られてしまう』など。どれも言っていることは様々だけど、突き詰めると「正解がどこかにあると思ってしまったら、〈創る〉じゃなく〈探す〉になっちゃうよね」ということではないでしょうか。
「正しい方法」などはない。あるのは「自分のやり方」だけだ。
これが全てを体現している感じ。
でも働いていると「正解」とか「確実に成果の出るもの」ばかりを求められてしまって、それはつまり「すでに誰かがやって保証されていること」の足跡を辿れと言われているのと同じなんですけども。でも、みんな怖いので「正解」を求めたくなってしまう。
クリエイティブであるためには、とても勇気が必要ですね。
2 環境は大事。
そして2がその勇気を支えたり与えてくれたりする。
環境というのは場所などもあるけど、主に人。クリエイティブであろうとする人々と交流していくことで自己成長を促し、同じ波長をもつ仲間と創ったモノ・コトを共有しあって仲間になること。
そもそもどんなものをつくっても、それを好きな人・嫌いな人は出てくるので、評価してくれる人と巡り合わなければずーっと自分が否定され続けてしまう。それは疲れるし続かないので、「評価される場にいること」っていうのも、とても大切です。
3 結局は努力。
3は、もう本当にそれしか言えないのですが。
クリエイティブな成功を手にした人とそうでない人の違い。それはほぼ100%間違いなく、自分を磨く努力をしたかどうか
こういう本を読んだり学ぼうとするときに、結構な割合で「手軽にレベルアップできる方法がないか?」という考えが頭をかすめていたり、しませんか。ぼくはあります(笑
でも、誰もが言っていたり、時には前提すぎて言ってなかったり、「結局は圧倒的に努力したかどうかだからね」ということは外せない。これはもうやるしかない。でもとても大切だから備忘録に書いておきます。。
「クリエイティブ」を神格化しすぎな人が多い気がする
読み終わってみて、とても根源的で大切なことばかりで、そして実行し続けるには難しい思想的なものでもありました。個人的には「自分の考えてきた創造性がより強固になった」部分と「ハッとさせられた」部分の両方があって、読みやすかったです。
『創造的思考とは、あなた自身がどのように生きたいかということなのだ。〜あなた自身を創り上げるということなのだ。』という本の頭で「これはまさに!」という感じでした。
「自分の創造性を解放しよう」的なワークショップを通して関わるようになったクリエイティブ思考に興味のある方々は、みな「クリエイターは特殊な人々。クリエイティビティは天才的な能力」みたいに思っている節があって、学びにきている割にちっとも近づいてこようとしない感じがします。
「クリエイティブといえばスティーブ・ジョブス!」とかそういう、一握りのめちゃめちゃ有名なイノベーターばかりを思い浮かべてしまうからなのでしょうか?(ワークショップにくるのは大抵ビジネスマンで、創造的思考を手に入れたい人)
それもありそうだけど、つまりはみんな「恐れている」。
遠巻きにして恐れてしまう結果「わたしの意見なんて・・・」的になって自分を出しません。「ちゃんとあるはずのクリエイター界ならではの正解を知らないから・・・」というのが彼らの言い分ですが、ぼくも誰も正解は知らないのにね。
「ぼくはこう思う!」と言った時に、まわりに冷たい反応をされるのが怖い、上司に怒られるのが怖い、みんなに見放されるのが怖い・・・というのが根幹になる気がします。
恐怖の克服は、結局「圧倒的努力(これだけやったんだから大丈夫)」と「場数(ある程度の慣れ。恥をかいても死なないという経験)」と、あとは「自分の確立(他人がどう言おうとわたしはこうありたい)」じゃないかなと思います。
こう考えると、恐怖の克服が自分の人生の幸せにもつながってそうで、「クリエイティブって幸せになる方法論だったのかも!」と思えてなんだかハッピーです。
いやぁよかったよかった。