【読書感想】ホモ・デウス-1【心ってなんだろう】

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人は創造主になろうとしている??

読書感想を書き始めたのが最近なので、超有名書『サピエンス全史』についてはそのうち書きたいのだけど、著者のユヴァル・ノア・ハラリさんという歴史学者の書いた本は、世界の見方を更新してくれるので、読むようにしています。「知識」という意味では、本が分厚すぎて逆に何も覚えられないけど…

『ホモ・デウス』はホモ・サピエンスである人間が進化の方向性として、まるで神のような存在を目指していく、というかおそらくなってしまうだろうというお話。

これは例え話でも宗教的なお話でもなく、科学的に、ということ。現在でも、寿命はどんどん伸びていっているし、精神に作用する薬もあるし、義手や義足などで身体を作り出している。

これらがどんどん進化していった先には「不老不死」だったり「恐怖や不安を感じない心」だったり「超人的な肉体」だったりがあるかもしれない。これってほとんど「神」だよね、というお話です。

ユヴァル・ノア・ハラリさんの本はとっても新発見が多く、本自体もめちゃ分厚いので何回にもわけて、気になった部分を読書感想として残していきたいと思います。

人は、知っていることの範囲でしか真実を見れない

人間はどんどん拡張・進化して神様みたいになっていくよね、という一方で、著者いわく「太古の人間は恐怖や勇気の匂いを嗅ぎ分けることができた」と言っていて、現在では想像しづらい(ちょっと面白そうな)能力をいつの間にか失っていたりもします。

失ってしまった理由は「必要ないから」で、他にも「夢を見る人が少なくなった」「一つのことに集中することがなくなった」とかが挙げられていた。夢を見ることが少なくなったかどうかはよくわからないけど、一つのことに集中できなくなってきたのはわかる気がする。

また、可視光線と赤外線・紫外線の話が出てきて、人間が見えている光(つまり色とか)は光全体の10兆分の1程度の領域でしかないらしい。

ぼくはデザイナーをしていて、こういう俗に言う「クリエイティブなお仕事」って「0から何かを創り出す〜」みたいなかっこ良いことを言う人がたまにいるけど、少なくとも見たことのない色を配色することはできないわけです。(というか印刷・表示可能という技術制約の範疇でしか表現できない)

「見たことのあるもの、嗅いだことのあるもの、触ったことのあるものなど、既知の存在の範疇でしか何かを生み出すことはできない。」

認識できる範囲でしか「知っている・知らない」を 認識できないのだから、「知らない」には「認識できる無知・認識できない無知」があって、「認識できない無知」がべらぼうに多いんだということは認識しておかなきゃなと思わされました。

人間の心はどうなっていく!?

例えばお酒を飲んだらいつもより陽気になっちゃっていたりするし、うつ病になったら薬を飲んで精神を安定させたりできる。

情報過多の時代においてはどんどん集中力が失われて、記憶は外部デバイスに任せて記憶力は減退していたりする。それもあまり自覚できないところで。

精神そのものをコントロールできたり、精神の軸となる認識能力が変化していった時、僕たちは一体何のことを「自分の本当の心」だと認識して生きていくのだろう?

まだ読み終わってないけど、ホモ・デウスは読んでいると少し不気味というか怖くもあります。

ただ、可視光線の外の世界を見える生き物は、可視光線しか見えない人の世界は絶対にわからない(知っている色をなかったことにして世界は見れない)ように、僕らの心が変化していったり、もしかしたら現代的な心が消失してしまったとしても、それを体感的に認識できることもなければ、それを不幸と思うこともないはず。

つまり怖がっても仕方ない、ということか。

 そういう意味では、認知革命(サピエンス全史より)以前以後で人類は大きくステージを変えたと後天的に理解はできても、幸福度や生きていることの実感レベルなどは、実はまったく違いはないのかもしれない。例え神になっても、言うほどの違いは当事者的にはないのだろう。

前回の読書感想『人工知能はなぜ椅子に座れないのか』と同じ「心ってなんだろう」というテーマにたまたまなったけど、実は他にも読んでいる物理学の本でも「心って重要なテーマなんだよ」と書かれていた。

神様になった後の人たちのことはわからないけど、現在のキーワードは「心」なのかもしれない。

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ここに自分のプロフィールを入れる。ほぼサイトの説明のような感じでも良いかと思っている。フリーランス、デザイン、絵、プログラムなどが主になってくるが、あまりに散漫にならないように気をつけなければならないのも、事実。